2024年の誕生以来、食通の間でひそかに話題となっている「うるみえび」。このえびを育てているのは、スパークプラグ、酸素センサなどの内燃機関製品を主軸とするNiterraグループのグループ会社、Niterra AQUAです。
なぜ同社がえびの養殖事業に乗り出したのか。今回は、前後編にわたってNiterra AQUAの取り組みを紹介します。前編では、代表取締役 大矢誠二がエンジニアとしての転換点から会社設立に至るまでのストーリーを、後編では取り組みの詳細と目指す未来についてご紹介します。
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現場から食の当たり前を変える。技術と情熱が動かす、「うるみえび」のこれから
環境にまつわる世の変化から考えた「未来に向けてすべきこと」
大矢は、日本特殊陶業へ入社して以来、内燃機関向けセンサの開発一筋に歩んできたエンジニアです。新規センサ製品の開発責任者として実績を積み重ねてきましたが、2015年のパリ協定締結をはじめとした気候変動という社会的課題、環境・エネルギーにまつわる世界情勢の変化を機に、自身のキャリアと会社の方向性を根本から見直すことになりました。

大矢
内燃機関の市場がシュリンクしていく流れが見えてきたとき、自分が今ここで新しいセンサを開発し続けていいのだろうかと疑問に思いました。開発を進めれば設計・製造・品質管理と多くのリソースが動きますが、そこに踏み込み続けるべきかどうか、真剣に考えました。
大矢 誠二(おおや せいじ)プロフィール
Niterra AQUA 代表取締役
1999年、日本特殊陶業株式会社に入社。内燃機関向けセンサの開発・工程設計に携わり、新規センサ製品の開発責任者を務める。2020年、新規事業専属チームへ異動し、環境・エネルギー分野を中心に多数のテーマに取り組む。えびの陸上養殖事業の立ち上げに関わり、2024年7月の株式会社Niterra AQUA設立と同時に代表取締役に就任。
熟考の結果、大矢は当時進めていた新規センサ開発の中止を提案し、同じ考えを持つメンバーとともに、時間をかけて社内の関係者への説得を重ねました。
多くの新規事業テーマを手がけて、見えてきたこと
そんな中、2020年に日本特殊陶業内に新規事業開発を担う部署が発足し、大矢は異動します。新規事業開発部門に移ってから、環境・エネルギー分野を中心に多数のテーマに取り組みました。短いものは数ヶ月でクローズし、長いものは何年もかけて検証を重ねる。そのプロセスの中で、事業として生き残るテーマに共通するパターンが見えてきたといいます。

大矢
振り返ると、手がけたテーマの7割が脱炭素か生物多様性に関わるものでした。意図したわけではないのですが、社会として確実に必要になる課題と、顧客が抱える具体的な問題が重なったテーマだけが生き残っていく。それがこれからの時代に求められている新規事業なのだと実感しました。
「陸上養殖」はこの時のテーマの中で現在注力しているものの一つです。Niterraグループが長年培ってきたセラミックス・センシング技術を起点にしながら、社会的課題の解決に直結しているという点も継続と判断された要因でした。
センサだけではない。「作る」から「売る」まで、事業者を支えるトータルサポート
Niterra AQUAの事業の出発点は、養殖業界へのセンサ技術の応用でした。閉鎖循環式の養殖では水質管理が生産の安定を左右します。海水中のアンモニア濃度をリアルタイムで計測できるセンサがあれば、業界のニーズを取り込めるはずだという仮説のもとで動き始めました。
しかし現場に入ると、想定とは異なる現実がありました。

大矢
水産養殖はもともと職人の世界です。センサなんて要らない、水の色や生き物の様子を見ればわかる、という方がほとんどでした。逆に養殖の経験がなく新しく始めたいという方にはニーズがあるのですが、今度はセンサの数値を見せても何をすればいいかわからない、という反応でした。
この課題に直面したとき、チームは方針を根本から転換します。センサを単体で販売するのではなく、水槽・ろ過槽といった物理的な設備(ハード)、水質モニタリングと作業指示を担うソフトウェア(ソフト)、そして養殖のやり方そのものを体系化したマニュアル(飼育ノウハウ)を提供する方向へと軸を移しました。

大矢
製造業で培った「標準化」の思想を水産業に持ち込むという「誰でも養殖を始められる」仕組みの構築が、現在のNiterra AQUAのコアバリューになっています。
システム開発が進む過程で、もう一つの課題が明確になってきました。いくら優れた養殖システムを導入しても、育てたえびが適正な価格で販路に乗らなければ、事業者の採算が取れない。採算が取れなければシステムを使い続けてもらえず、Niterra AQUAのビジネスとしても成立しません。

大矢
陸上養殖の業界を見ると、設備だけを売って終わり、という事業者が多いんですね。その結果、養殖事業者が採算を合わせられずに撤退するというサイクルが繰り返されてきました。私たちは養殖システムの販売にとどまらず、資材調達・養殖運営のサポート・えびの販売先開拓まで、事業者を全方位でバックアップすることを事業の柱にすると決めました。
具体的には、稚えびや人工海水・餌といった資材の調達サポート、水質データと作業指示によるオペレーション支援、そして生産したえびの販売チャネル構築まで、一気通貫で関わっていく体制です。導入した事業者が確実に採算を取れるよう、事業リスクをともに担う姿勢がNiterra AQUAの差別化要因になっています。
意思決定のスピードを上げ、水産物の売買を含む幅広い事業を機動的に展開するためにも独立した法人格が必要だという判断から、2024年7月に「株式会社Niterra AQUA」が設立されました。
Niterra AQUA外観
うるみえび
食の安全、海洋保全、自給率。日本のえびが抱える課題
Niterra AQUAが取り組む背景には、日本のえび市場が抱える課題があります。国内自給率はわずか数%で、輸入依存度は90%以上。世帯消費量ではサケ・マグロ・ブリに次ぐ国内第4位の規模を持ちながら、国産の安定供給体制はほぼ確立されていません。
また、輸入えびは為替変動や現地での病気発生の影響を大きく受け、価格と供給量が不安定になりやすい構造を持っています。加えて、海外養殖における抗生物質の使用といった「食の安全」への懸念や、養殖池造成によるマングローブ林などの自然環境への負荷、食べ残された餌や排泄物の排水による水質汚染などもグローバルな課題として認識されています。FAO(国連食糧農業機関)の統計によれば、世界の水産物の約50%はすでに養殖由来となっており、海洋資源の枯渇を背景に陸上養殖への移行が世界規模で加速していく見通しです。
こうした状況に対してNiterra AQUAが選んだのが、閉鎖循環式(C-RAS)の屋内陸上養殖です。ろ過した水を循環再利用することで海洋への排水をなくし、外部環境に左右されない安定した生産環境を実現します。抗生物質を使わず、薬剤耐性菌(AMR)リスクのないクリーンなえびを国内で生産する取り組みが、うるみえびというブランドとして結実しています。
社名の「AQUA」に込めたビジョン
会社名のAQUAには、中短期的な事業領域として水産養殖(AQUAculture)・水耕栽培との複合(AQUAponics)・水族館向け(AQUArium)の3分野が想定されています。さらに長期的には「水(AQUA)の完全循環」という、水資源そのものの持続可能な循環に貢献する企業へと発展させていくビジョンが込められています。
「地球を輝かせる企業になる」というNiterraグループの目指す姿を、水と食料の分野で体現していく。スパークプラグから始まった技術の蓄積が、まったく異なる領域で新たな価値を生み出そうとしています。